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世界キックボクシング協会 (WKA) : ミニ英和和英辞書
世界キックボクシング協会 (WKA)[せかいきっくぼくしんぐきょうかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
キックボクシング : [きっくぼくしんぐ]
 【名詞】 1. kickboxing 2. (n) kickboxing
: [きょう]
  1. (n-suf,n-pref) cooperation 
協会 : [きょうかい]
 【名詞】 1. association 2. society 3. organization 4. organisation 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

世界キックボクシング協会 (WKA) : ウィキペディア日本語版
世界キックボクシング協会 (WKA)[せかいきっくぼくしんぐきょうかい]

世界キックボクシング協会(The World Kickboxing and Karate Association〔WKA公式ルールブック2010年度(アマチュア) の第1章において「WKA stands for the World Kickboxing and Karate Association with its seat in Germany.」と書かれているため。〕 / WKA)はキックボクシングの世界王座認定団体の一つ。1976年にアメリカのプロ空手協会から分離独立した。かつての団体名は「世界空手協会」("World Karate Association / WKA")。全米プロ空手を主に管轄していた。本部はドイツカールスルーエ(Nördliche-Uferstr. 4-6 76189 Karlsruhe Germany)に、事務所はイングランドバーミンガム(James Court 63 Gravelly Lane B23 6LX Birmingham England)にある。現会長はドイツ人のKlaus Nonnemacher。
なお野口修が創設した世界キックボクシング協会 (WKBA)フルコンタクト空手士道館ルール統括競技団体の世界空手道連盟 (WKA)とは別の団体である。
プロ、アマそして男女両方のランキングを作成している。男子18階級、女子5階級。ただし、vacant(空位)の欄が目立ち、ランキングの更新も非常に遅い。世界王座はキックボクシング(Kick Boxing)、フルコンタクト(Full Contact)、ムエタイ(Thai Boxing)の3種類がある。また世界王座の他にインターコンチネンタル王座や地域王座の認定もおこなっている。
プロ以外にもアマチュア競技の大会の開催や普及にも積極的に力を注いでおり、アマチュアの世界選手権も開催している。
== 歴史 ==

=== 設立 ===
世界キックボクシング協会は、1976年10月に世界空手協会としてハワード・ハンソンとアーノルド・ユキーデベニー・ユキーデの兄)によって創設された。ハンソンは小林流空手の有段者で、マイク・ストーンの弟子だった。
1983年9月23日、ロブ・カーマンジョン・モンカイヨの持つWKA世界王座に挑戦。ローキックで3RKO勝ちし初のヨーロッパ系キックボクサーのWKA世界王者が誕生した。
ハンソンが1991年にWKAをカナダのデール・フロイドに売却したのを機に、北米におけるWKAの活動は衰退していくことになった。1994年にポール・イングラムがWKAを掌握しイギリスに本部を設置したことで、同年1月にオランダのフレッド・ロイヤースやフランスのジャン=ポール・ミレーといったヨーロッパ系の重役が辞任した。
1970年代は全日本キックボクシング協会、1980年代は全日本マーシャルアーツ連盟、1990年代2000年代は前出の両団体の流れを汲む全日本キックボクシング連盟と業務提携した。1987年夏の全日本キック設立後に、同団体の実質的な権限を握ったのは金田敏男だった。金田は他の興行会社での勤務歴が長く、興行に関しては経験が深かった。加えて、自身が専務を勤めていた日照という会社(キックボクシングのジムも経営していた)に「日照エンタープライズ」という会社を作らせて、自らが社長に就任した。この会社は強力な興行会社(プロモーター)であったため、全日本キックの実体と目された。その後、金田は全日本キックの「代表」という役職を名乗るようになっていく。また、金田がかつて勤めていた会社の一つに「オールジャパンプロモーション」(かつて存在した全日本マーシャルアーツ連盟・AKIジム・正心館の実体)という興行会社があり、WKAと提携していた。このコネは全日本キックに引き継がれ、当時全日本キックの理事長だった(後に金田と確執で集団離脱しNJKF旗揚げ)藤田眞は、WKAの副会長も兼任した。全日本キックは、日照エンタープライズの潤沢な資金と、WKAとの全面提携を生かして、これまで呼べなかった世界(オランダ、米国)のトップ級の選手を次々と日本に招聘し、それを売り物にした。この時招聘された選手にはモーリス・スミスロブ・カーマンピーター・スミットアンドレ・マナートなどの選手がいた。スミスに関しては過去に全日本マーシャルアーツ連盟が招聘したことがあったが、スミットについてはキックボクシングの試合のために招聘したのは全日本キックが初めてだった。
2015年4月、谷山ジムの会長でビッグバン代表谷山歳於がWKA日本代表就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「世界キックボクシング協会 (WKA)」の詳細全文を読む




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